日本の砒素汚染

土呂久 宮 崎県高千穂町の谷間の集落土呂久(とろく)の真ん中で、1920年から1962年にかけて、硫砒鉄鉱を焼いて猛毒の亜砒酸を製造する鉱山が操業しました。 公害防止を考えない前近代的な施設だったために、大気、水、土壌が砒素によって汚染され、ミツバチがいなくなり、シイタケが芽をださず、竹林が枯れ、稲の 成育が悪くなり、牛や馬が病気にかかって死んでいきました。鉱山労働者や周辺の住民は、皮膚が黒くなる、激しい咳をする、肝臓がはれるなど、同じような病 気に苦しみました。この公害事件は表にでることなく過ぎて、鉱山が閉山して9年後の1971年に、小学校の教師が掘り起こして社会的な問題になりました。 環境省は1973年、土呂久に多発する病気を慢性砒素中毒症として公害病に指定しました。「私たちは生き残りです」と語っていた住民のうち169人が、 2005年10月までに慢性砒素中毒患者として認定されています。この中の41人は、市民がつくった「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」の支援を受け て、鉱山会社に健康被害の償いを求める裁判を起こし、15年におよぶ闘いのあと1990年に最高裁で和解しました。原告の中から、呼吸器や泌尿器のがんで 亡くなる人がつづいたことは、砒素のもたらす健康被害の怖さを教えています。

松尾 土 呂久と同じ時期に、宮崎県木城町の松尾鉱山でも亜砒酸が製造されて、多くの労働者が砒素中毒にかかりました。厚生労働省は1973年に、松尾鉱山の労働者 が慢性砒素中毒にかかっていることを認めて、労働災害の補償給付を始めました。5人の患者が、鉱山会社に健康被害の償いを求めて起こした裁判は、1983 年に原告勝利の判決で幕を閉じました。患者と会社は、判決の内容をふまえた協定を結んで、5人の原告以外も救済されるようにしました。

笹ヶ谷 環境省は1973年、島根県津和野町笹ヶ谷鉱山周辺でも、亜砒酸の製造による環境汚染で砒素中毒患者がでていることを認め、2005年10月までに21人を認定しています。

中条 新 潟県中条町に、亜砒酸を使った薬品を製造する工場がありました。廃液が地下水を汚染し、井戸水を飲用した住民のうち93人が、1959年に砒素中毒と診断 されました。28年後の追跡調査で、皮膚がんや内臓がんや循環器障害など、遅発性の重度の症状をもつ患者が確認されました。

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