バングラデシュ、15年の重大変化(5)

昨年11月に完成した3階建て「砒素センター」は、屋上中央に“Arsenic Center”と英語で建物の名前を表示している。これをベンガル語表示に変えなければならない、どんなふうにしようかと、アジア砒素ネットワークのスタッフはがやがや議論している。

広告はベンガル語表示にしろ、看板はベンガル語表示にしろ、車のナンバープレートの数字はベンガル語にしろと、高等裁判所が判決をだした。今年2月17日に最初の判決、あまり効果がみられなかったので、5月29日に2度目の判決。

豊かになってきた国力を基礎に、西欧主義への抵抗としてでてきた「自立の意思のめばえ」が重大変化の9である。

砒素センターの表示52KB

(ベンガル語に表示が変わる?)

ハシナ首相が「自己資金でパドマ橋をつくる」と言ったという新聞記事を読んだとき、追い詰められて開き直ったな、とKK-Rakanは感じた。

いったんは資金援助を約束していた世界銀行、アジア開銀、JICAなどが、パドマ橋建設にからむカナダのコンサルタント会社とバングラデシュ政府高官の汚職を理由にいっせいに手を引いたことが、首相の発言の背景だ。政治家や政府高官を弁護しつづけた首相は、意地をはって過激な意見をはいたのだ、とKK-Rakanは2年前に思った。

ガンジス川とブラマプトラ川の合流点より下流にあたる場所に橋をかける大工事だ。その技術はバングラデシュにはない。外国企業に発注すれば、当然ドルによる支払いとなる。そんな外貨の余裕があるはずがない、と侮っていた。

しかしバングラデシュ政府は、着々と自前による建設の道をかためていき、先月、中国大手橋梁建設会社を発注先に選定したと発表、2014年度から予算をつけて本格的な橋建設を始める。これは、バングラデシュが、かつてのバングラデシュを抜け出そうとしている象徴的なできごとである。

かつてのバングラデシュは、外国の援助に溺れ切っていた。たとえば、ヒ素対策のプロジェクトでも、資金を援助してもらって建設した代替水源を故障したままほうっておけば、次にどこかの国のプロジェクトがやってきて、またお金をだしてつくってくれる。そんな意識を政府機関から、民間の業者から、裨益者の住民からもろに感じた。プロジェクトが終わったあとは、自分たちが引き継いで持続的にやっていこうという意識がまったく感じられなかった。

アジア砒素ネットワークのスタッフにしても同じことがいえた。天にむかって口をあけて待っていれば、助けてもらえるという意識に、KK-Rakanはどれだけいらだち、どうやって改められるかと苦闘してきたことか。

そんなデルタの国に、やっとパドマ橋の自前建設を機に、自立して巨大事業をやっていこうという意思の芽がふいた。

パニ・ポリドッショックユニホーム

(制服を着た水監視員)

重大変化の10番目は「サービス精神のきざし」である。

長いあいだ、バングラデシュにはサービスはない、と思ってきた。最初に、あれっと思ったのは、ダッカ・ジョソールの飛行機で、お菓子とサンドイッチが箱におさめて配られるようになったときだ。やがて定刻に発着する民間航空機会社が現われた。それまでは、VIPの到着するまで飛行機の出発を遅らせて、大勢の客に迷惑をかけても平気でいた。とにかく客に対する態度がひどかった。

飛行機という国際的な交通業界で、複数の民間会社が競合するようになったときに、初めてバングラデシュにサービスの兆しが感じられた。

KK-Rakanがいま実施しているプロジェクト名は「地方行政(ユニオン議会)による飲料水サービス支援事業」という。バングラデシュには、脆弱だけれども地方行政機関は存在している。しかし、行政によるサービスはない。だから、人びとは税金を払わない。それで、どうして国や地方が成り立つの? その不思議を解くかぎは、国際機関からの援助にある。税金をとらない分、援助のお金が降りてくるという構造だ。

重大変化の9で紹介したように、そこから脱しようとする「自立の意思のめばえ」が感じられるようになった。と同時に、地方行政によるサービスも、わがプロジェクトを通して育ちつつある。バングラデシュが変わろうとしている。

2002年から2008年まで、アジア砒素ネットワークは2つの砒素対策プロジェクトをやって、合わせて214基の代替水源をつくった。プロジェクト実施直後は成功したとみえていたのに、終わって2,3年たつと、せっかくつくった水源が使われずに放置されているのが目立った。維持管理をまかせたのは、利用者で作っている組合なのだが、この住民組織が自主的に機能していないのだ。

そこで、住民にもっとも近い地方行政(ユニオン議会)に、水監視員(パニ・ポリドッショック)を配置して、利用者組合の維持管理をサポートしていくプロジェクトを考えた。問題は、水監視員の人件費である。行政にはその予算がないので、公共水源の利用者から月10タカ(13円)を集金することにした。

この10タカの集金が困難をきわめた。住民は行政を信じておらず、税金でさえ払っていないのだから、たとえ10タカでもだそうとしない。そこを突き破るのが、住民に喜ばれる飲料水サービスを提供することだった。サービスのない国に「サービス」を興すプロジェクトを始めたのだ。スローガンは「利用者の要望にこたえるサービスの提供」である。

水監視員に制服を着せ、修理道具と自転車をもたせた。困ったことがあったら、すぐ水監視員の携帯電話へ連絡するように、と大型の名刺を配って回った。テープとマイクを積んだリキシャバンをジコルガチャ郡内に走らせて、水監視員の宣伝をして回った。

公共水源の利用者から連絡があれば、水監視員は、すぐに飛んでいって問題を解決する。このことを徹底した。月に数回、公共水源を巡回点検し、維持管理を手伝い、利用者組合のメンバーと話をする。年に1回、水質検査をおこなう。年に2回、錆びのでてくる手押しポンプにペンキを塗る。排水施設のないところには、穴を掘ってコンクリートリンクを埋めて、パイプで排水を流すようにし、水源の周辺をきれいにする。乾季に地下水位が低下して、水の汲めなくなった井戸は、プロジェクトが開発したアポン・ポンプに取り替えて、年中水が飲めるようにする。大型の工事は、利用者が工事費の10%を負担した。

夜9時半に飛んでいくパニ・ポリドッショック

(呼ばれたら、すぐに飛んでいく)

ある水監視員から「夜9時半ごろ、深井戸の水が汲めなくなったので修理に来てほしいと電話がかかってきたので飛んでいった。行ってみると、『どうして今きたんだ。明日の朝でよかったのに』と言われた」という話を聞いた。KK-Rakanは、水監視員にサービスの精神が定着しているのを知ってうれしかった。度が過ぎていると言われようが、これくらいの気持ちでやらないと、サービスのない国にサービスは育たない。

6月4日の月例ミーティングで、5月のサービス料金の集金が目標の8,000タカを超えたユニオンが2つでたと報告された。水監視員の給料が6,500タカだから、集金額が8,000タカを超えれば、プロジェクト終了後も持続していくことができる。プロジェクト期間をあと1年残して、2つのユニオンが目標に到達した。

「どうやって、目標額に達することができたのか」とKK-Rakanは聞いた。

「安全な水を1年中飲めるようになった利用者は、私のサービスに満足してくれている。そんな利用者が、隣の利用者組合に、どうして1世帯10タカをだしてサービスを受けないんだ、と話をする。それを聞いた利用者組合から、サービス料金を支払うからうちの公共水源の維持管理も手伝ってくれ、と言ってくるようになった」

口伝えで、飲料水サービスのよさが広がり始めたのだ。これにまさる広報宣伝はない。

地方行政が住民から信頼を得て、住民が税金を払うようになるのは、両者の間に「住民の要望にこたえるサービス」が介在するからだ。プロジェクトは、飲料水供給という分野で、行政と住民をつなぐことに成功しつつある。このサービス精神は、これからもっともっと他の分野に広がっていくことだろう。

Apon ジコルガチャ・シャゴルプール140515 (20)

(利用者の要望にこたえるサービス)

これで、バングラデシュで見てきた「15年の重大変化」を終わる。

むかしのKK-Rakanを知っている人は、もっとも重大な変化は「君がサービスを口にするようになったことだよ」と笑っていうかもしれない。その通りだろう。

バングラデシュで暮らしながら知ったのは、サービスのもつ意義だけではない。地方行政の、学校教育の、警察の、郵便の……、それぞれの分野で噴出する問題をみて、基礎づくりの大切さを知ることができた。明治維新以来の日本は、そうした問題を克服して国の形を整えていった。その道程をもっと学んでおけばよかった、と後悔することしきりである。