バングラデシュ、15年の重大変化(3)

重大変化の6は「消費文明を推し進める中産階層」である。

15年前、ジョソールの高級レストランといえば2軒の中華料理店だった。どちらも町の中心部のビルにあり、階段をのぼって店内に入ると、暗くて陰気な雰囲気に気持ちまで沈んだ。でてくるのは、ほんものの中華からほど遠いバングラ中華だった。

いま、この2軒のレストランに足を向けることはない。

ホテル・ハッサンが建ったのは10年くらい前のことだ。いまでもジョソールでいちばん快適なホテルである。その2階に中華レストランが付設された。店内は暗くて、テーブルにならぶのはやはりバングラ中華なのだが、先のレストランのように気持ちを沈ませる陰気さがない。

初めのころ、客として来ているバングラデシュ人は、外国人といっしょに食事する人か、よほどの金持ちに思われた。

その客層が数年前に変わった。店内はバングラデシュ人で満員、大家族が広いテーブルを囲んでいるのを見たとき、頭の中を雷のような光が走った。

ジョソール一高級なレストランを中産階層がうめている!

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(最近のジョソール空港待合室)

航空機の大衆化も進行している。昔は政府経営のビーマン航空だけが空を飛んでいた。やがて3つの民間会社がダッカ・ジョソール路線に参入し、ジョソール空港の待合室の様子ががらりと変わった。夕方の飛行帯は、待合室に人があふれる。子どもを世話するメイドをふくむ家族連れが飛行機を利用するようになった。

購買力をつけた中産階層が増えると、消費文明の花が咲く。ジョソールで最初に蕾が開いたのは、バーコードを読むレジをそなえたスーパーマーケット「ハット・バザール」が開店したときだった。

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(ジョソールにオープンしたグリーンバザール)

昨年末、街中から少しはずれた場所に、全面うす緑のガラスばりのビルが建った。その1階に「グリーンバザール」が開店した。ハット・バザールのライバルの出現である。

開店前は、名前の示すように無農薬有機農産物をあつかうというふれこみだった。そんな農産物は少ないけれど、魅力的なのは、明るく広々とした店内に整頓された商品がずらっと並んでいることだ。

ボロバザールで生鮮食料品を買うのはメイドにまかせ、KK-Rakanはもっぱらグリーンバザールで加工品を買っている。そんなジョソール中産階層の暮らしがKK-Rakanには快適に感じられる。不足を言えば、豚肉がダッカでしか買えないことと、健康のための運動をする環境がないことくらいだ。

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(ちりひとつ落ちていない民間病院)

重大変化の7は「近代化する病院施設」。

シャシャ郡でJICAプロジェクト(2002年~2004年)をやっていたとき、郡の南部でコレラがはやった。プロジェクトの医師を中心に救援活動にとりくんだ。空いていた建物を借りて、臨時の病院にし、コレラ患者を収容した。廊下にござが敷かれ患者がいっぱい横たわる。医師と保健師が点滴をうってまわる。まるで野戦病院だった。もっとよい場所はないのか、と叫びたかった。

当時、政府の運営する郡病院と県病院は、この野戦病院のように、大部屋のベッドが満床になると、あふれた患者を床に寝かせていた。入院施設をもつ病院が他になかったこと、あってもベッド数が足りなかったのが原因だった。

政府病院は、医師の技術料は無料。医師の処方する薬や点滴セットは、患者の付添が、処方箋をもって病院のまわりに並んでいる薬局に買いに行く。入院患者の食べ物は病院から支給されるが、付添は近くの食堂に買いに行った。民間病院に比べると入院治療費が安いので、多くの人が郡病院か県病院で治療を受けていた。

ジョソールに医療検査の施設ができたのは6、7年前だっただろうか。レントゲンや心電図のような検査はそこでやる。血液や尿は採取だけして、サンプルをダッカに送り、検査結果が1週間後に届けられる。

それからジョソールに近代化した病院が次々と建ち始めた。多くの病人は、暗くて混雑して重苦しい政府病院を嫌って、民間の新しい病院を好んだ。政府病院の医師は、昼食時まで郡病院や県病院で働き、昼食がすむと民間病院で働く。その医師の技術も向上している。KK-Rakanがそれを経験したのは、シャムタ村の女性ヒ素中毒患者が喀血と血圧の上下動に苦しみながらも、医師の冷静な判断で無事に男児を出産したときだ(本ブログ「がんばれ! バングラなでしこ」参照)。

民間病院は、より多くの患者を集めるために、ダッカの有名専門医を招いて診察する曜日をつくった。その日、近隣の県からも患者がやってきて、病院に長い列ができる。有名医師は前日の夕方飛行機でジョソールに着き、1泊して、翌日診察して帰る。「ジョソールに1日来ると10万タカの収入になるそうですよ」(1タカ=1.34円)と聞いて、KK-Rakanは「まさか?」と信じなかった。山形ダッカ友好病院のエクラスル医師に会ったとき、その話をすると、「ダッカには1か月で100万タカの収入のある医者がいます」と聞かされた。日本の勤務医の月給が100万円、夜勤をすると1晩で10万円と聞いて、自分の収入と比べて「高いものだなあ」とため息をついたことを思い出す。あれは、いつのことだったか。

エクラスル先生は、ダッカ市ラルマティアに借りている病院ビルから、ランプルに新設中の病院に移ることを決めている。病院は、近代的な施設に変えていかないと生き残れない。

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(山形ダッカ友好病院の建設現場)

近代化するバングラデシュの病院に背を向けて、金持ちはさらに、インドやタイやシンガポールの国際的に有名な病院で高度な治療を受けることを望む。

バングラデシュはすっかり変わった。それなのに、古いバングラデシュ像にとりつかれているのは、一方で、困窮して暮らす人々をどこででも目にするからだ。貧困を残して急成長するのは、グローバル化の波にのまれた途上国に共通することかもしれない。福祉の仕組みをとりいれて、富をなるべく公平に分配する社会につくり変えないと、貧富の格差は拡大するばかりであろう。