こんなに小さな記事でいいのか。The Daily Star紙よ、いつもの鋭い問題意識はどこにいったのか。

インフルエンザで休んでいた8月2日午後、ベッドに寝たまま、届けられた新聞を寝ぼけ眼で一面、最終面、その内側と見ていた。

「ルプール原子力発電所 内閣がロシアとの契約調印の提案を了承」

2面の真ん中下に、この見出しをみつけたときは、いっぺんに目が覚めた。

週例の閣議の内容を35行ほどにまとめた記事である。そのうち3分の1が、ルプール原発協力協定の調印を承認したことに関する内容だった。

内閣が原発建設を承認したという記事

2月初めに、バングラデシュとロシアは、バングラデシュ最初の原子力発電所を約15億ドルから20億ドルでつくるという枠組み協定に調印した。

建設場所は、パドマ(ガンジス)川とジョムナ(ブラマプトラ)川の合流点近くのパブナ県ルプールとされている。

その後、3月11日に東日本大震災が発生した。地震と津波に襲われた福島第一原発で、爆発やメルトダウンが起こって、放射能が空に海に地下に撒き散らされた。

あの当時、The Daily Star紙にはコラムニストや読者による原発反対の主張がよく載っていた。

それから5カ月もたたないのに、目立たない形で、ルプール原発の協力協定調印が閣議で了承されたのだ。

のっぺりと平坦な国土、1億5000万人が住む人口過密の国、毎年のように自然災害に苦しめられる国。核の廃棄物をどこに貯蔵し、どうやって最終処分するのだろうか。

わきだす疑問の数々に、答えてくれる者はいない。

このまま、バングラデシュで最初の原発建設が、本格的に動き出すのだろうか。

このニュースを読んだとき、2、3日前からひんぱつした短い停電は“演出”ではなかったのか、と腹立たしかった。

KK-Rakanの住んでいるジョソール市アリプールは、近くに軍の基地があることから、他の地域に比べると停電の総時間は短い。

いつもは、1時間の停電が日に2回か3回おこる。それが、この2、3日は15分から30分の停電が10回以上おこっていた。

雨が降らずに熱い日がつづき、天井の扇風機を回しながら寝ていただけに、病人にとって、ひんぱつする停電ほど苛立たしいことはなかった。

原発待望の背景にあるバングラデシュの電力事情は確かに深刻である。

工業生産は伸びてきた。乾季稲作の動力灌漑は激増した。家庭の電化は進んでいる。そうした電力需要の増加に発電がおいついていない。

夜の8時をすぎると、特別に認められた業種以外の商店はシャッターをおろす。街のネオンは消される。バッテリーで走る小型三輪車は、充電で電気を消費するという理由で、輸入にストップがかかる。

暗い夜の町に、みんな我慢している。

解決策は、発電量を増やすしかないのだが、バングラデシュに適した発電法が見つからない。

石油は確認されず、石炭は少なく、天然ガスの埋蔵量は期待されたほどではなさそうだ。水力発電用のダムをつくる傾斜地も、東部を除けばまったくない。

太陽光発電の家庭用パネルをつけても、電灯が一つともって、テレビを見ることができればよい方だ。

風力発電や潮力発電や地熱発電の実験がおこなわれている形跡はない。

そんな中で、電力関係者の目は原子力へ向いていったのだろう。

太陽光発電パネルの展示

太陽光でついた電灯

JAIF(社団法人 日本原子力産業協会)のホームページに「ルプール原子力発電所」のことを紹介したところがある。原発を推進してきた団体だけによく調べている。

「1961年に原子力発電所建設プロジェクトが浮上し、1963年にダッカ北西160kmのガンジス川沿岸ルプールが建設候補サイトに選ばれた」

「1965年、ルプールに納入予定だったカナダ型重水炉(CANDU)がカラチ(パキスタン)に設置された」

「1971年、ベルギーが20万kw炉でのファイナンス契約の調印に漕ぎ着けようとした矢先に、バングラデシュ独立戦争が始まってしまった」

「1980年8月、フランスと原子力協力協定を締結。3.5億ドルで、1986年までに仏製PWR(12.5万kw・2基)を運開させる計画だったが、サウジアラビアからの資金手当てに失敗し中止となった」

「1997年12月、バングラデシュはIAEA専門家と予備検討を行い、60万kw・2基が推奨された」

ルプールが48年も前から原発の候補地だったとは! 亀のようにのろくて、びっくりするほど長い歩みがつづいていたことがわかった。

バングラデシュに住む日本人として「情けない」のは、福島原発事故の反省に立った声明ひとつだせなかった日本政府の姿勢である。

そればかりか、被害の全体像がどのようなものか、それを見通せないうちに、突然、定期点検を終えた原発の稼動を許可した。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経験した日本政府が、原子力発電は安全だと宣言したのだ。

「フクシマは想定外の津波によって引き起こされた事故であり、その対策が十分にできたのであれば、止まっている原発を再び稼動させてもよい」

そんな宣言を聞いた途上国の政府は、これまで準備してきた原発建設の動きを再開することになんの躊躇もいらない、と考えたことだろう。

日本政府は、最悪の政治判断をくだした。

日本人が、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマから学ぶべきことは、なんだったのか。

たった一発で、10万人を超える人間を殺傷する爆弾を決してつくらないこと。

いったん事故を起こせば、かぎりなく多くの人間を放射線に被爆させ、人間の住めない広大な土地をつくりだすような発電所を決して建設しないこと。

核エネルギーに頼らないで生きる世界を共にめざそう。

これこそ、歴史が日本人に求めた宣言ではなかったか。

バングラデシュでみるように、途上国の原発建設の動きは、フクシマの被害からなにも学ぶことなく進んでいきかねない。

「ちょっと待て、もう一度いっしょに考えてみよう」

そう言えるのは、あてにならない日本政府ではなく、原発事故で被害を受けた人びとでしかない。